diary/Kojima

・「ガールズ&パンツァー」の魅力(その6)

ここまであれこれ書き連ねてきたけれど,「ガルパン」の魅力って, 本質的には「プラモの戦争ゴッコ」に尽きると思ふ.

「ガルパン」が描こうとしているのは,リアルな「戦争」ではなく, プラモの戦車を戦わせる「戦争ゴッコ」の世界.

「戦争ゴッコ」だから,ミニスカで長髪の女の子たちが軽々と操縦できるし, 直撃弾を食らって大破しても,乗員はメガネが壊れるくらいのケガしかしない. 大破した戦車も,一晩徹夜で整備すれば翌日には復活できてしまう.

プラモの世界では背景になる「ジオラマ」が重要だから, 「大洗」という実在の土地を選んで,何度もロケハンして市街地を精密に再現し, その世界に戦車を走らせる.

それはまさに,ジオラマの背景にプラモの戦車を置いて, 想像の世界で互いに戦わせる「戦争ゴッコ」の世界なんだろう.

プラモのジオラマだとある瞬間を切り取ることしかできないけれど, アニメの世界なら「IV号戦車の主砲ではマチルダIIの正面装甲は突破できないけれど, 回り込んで側面からの零距離射撃ならば突破できる」とか, 「ファイアフライの装填速度なら,一撃をやり過すことができれば,数秒間は停止してフラッグ車を狙える」, 「回り込んで0.5秒でも停止狙撃できればティーガーの弱点を突ける」 等々,戦車マニアの妄想を実際の画面に描き出すことができる.

また登場するキャラたちも, ジオラマに配置されるフィギュア同様, 敵キャラはパターン化したジョンブルやヤンキー,イワン、クラウトの姿として描かれるし、主人公たちも, 内面にさまざまな葛藤を抱えたリアルな人間としてではなく, 親友や仲間,学校のために戦う, 極端なまでに理想化された女子高生として描かれる.

それはいわばプラモのジオラマをアニメの中に封じ込めた「箱庭」世界.

「ガルパン」のストーリーは, 主人公を始めとする登場人物たちが, どんな逆境に晒されても仲間を信じ,前を向いて歩み続け, 戦力的にはとても勝ちめのない相手に, 創意工夫と仲間への信頼で立てた作戦で立ち向かっていく. そういう理想主義すぎるお話は, 世故に長けてしまった私たちからすると, 「現実世界」の延長としては, 青くさくてとても見ていられない.

しかし,「現実世界」から切り離された「ガルパン」の「箱庭世界」の中では, 主人公たちの「ひたむき」で「健気」で「真っ直ぐ」な生き様が そのまま素直に受け入れられて,ただただまぶしく,心地よい.

その世界は,観客である私が生きている「現実世界」と今は隔離されてしまったものの, かっては自分も生きたことがある, 何の見返りも期待せず,友を信じ,仲間と助けあうことができた世界. 「打算」や「駆け引き」なんて言葉は存在せず,自分の信じること,好きなことを, クラスメイトや部活の仲間たちと共に追求できた世界.

 大人になってしまってから追憶すると,
 両親や学校に守られていた中学,高校の部活動や学園祭って,
 まさに「現実世界」から切り離された「箱庭世界」だったように思ふ.

観客各自に,かって自分が経験したことのある「箱庭世界」を, 「戦車の描写」といった「小さなホント」にとことんこだわって想起させ, 青くさいほど直球の王道ストーリーに没入させることに成功したのが「ガルパン」(特に劇場版)なんじゃなかろうか.

私を含めたいい年の「おじさん」たちが, 心の奥底に眠らせていた「箱庭世界に生きていた自分」を「ガルパン」によって喚起され, 主人公たちの「ひたむき」で「健気」で「真っ直ぐ」な生き様から, 今の自分が生きている「平凡」で「退屈」で「打算的」な「現実世界」に再び立ち向う元気を与えられる, だからこそ「現実世界」に打ちのめされて疲れた時には「ガルパン」を見たくなって, 何度も劇場に足を運ぶことになる.

「ガルパンおじさん」の言う「ガルパンはいいぞ!」の背景には, こういう複雑な事情が存在しているのだろう,というのが, とりあえず自分自身の内面を分析してみた結論(一応、完)



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Last-modified: 2021-12-17 (金) 16:35:43