diary/Kojima

・チラシ裏3

前回、現状に不満を持つ人々が、かっては共産主義(社会主義)に身を投じ、最近では「イスラム国」のような宗教原理主義に身を投じているのでは、と指摘したけれど、共産主義(社会主義)と宗教原理主義の間には本質的な違いがある。

いわゆる共産主義/社会主義者が考えている「科学的社会主義」は、マルクスらが資本主義社会を検討、分析した結果、そこから「合理的」な発展の結果生まれて来る社会であって、本質的に「科学」や「合理主義」といった「近代社会」の価値観を共有していると言える。

一方「宗教原理主義」では、「近代社会」の根本原理とも言える「合理主義」や「進歩主義」を否定し、教祖の唱えた「教典」や彼の生きた時代こそが至上で、現在の穢れた社会をより正しい方向へ変えていくためにはどのような手段を取ることも厭わない。

その意味で、我々の生きている資本主義社会は、かっての社会主義陣営とは「近代社会」という同じ土俵で戦えて、「経済的な豊かさ」という共通尺度で勝敗を決っすることができたのに対し、「宗教原理主義」とは戦う土俵(=世界観)自体を共有していないので、何をやってもすれ違い、という結果にならざるを得ない気がする。

日本政府は、中東地域に対する人道支援によって社会の格差を少なくして、テロリストになる人々を減らすことが日本の役割、というように主張していて、確かに資本主義社会に基づく「近代社会」の枠組みの中ではそういう対応しかできない気はするものの、結局それは「近代社会」の側の思いであって、「近代社会」自体を否定しようとしている「宗教原理主義」には対処できない気がするところ。


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Last-modified: 2021-12-17 (金) 16:35:42