diary/Kojima

・Windows が無料になったら..

PC watch の「笠原一輝のユビキタス情報局:Vistaのマーケティングに透けて見えるMicrosoftのジレンマ」というコラムで, Web2.0 時代のビジネスモデルについて,Google はすでに広告収益型のビジネ スモデルを成立させているけど MS は従来の源泉徴収型ビジネスモデル(OEM で 搭載される PC からの収益に頼るモデル)のまま,という議論があって,将来的には MS も Google のようなビジネスモデルに転換しなければいけないのではないか,また その際には OS(= Windows)は無料になるのでは,みたいな話をしていた.

コラム自体はビジネスモデルの話中心で,そちらだけでも十分面白いんだけど, Windows が「無料」で公開されるようになったら,果して自分は Linux ではな く Windows を使うようになるだろうか,としばし自問.

多分,私の場合は Windows が無料で使えるようになっても,せいぜい今と同じ ように VMware に入れて必要な時に使う程度で,メインの OS としては使わないだろうなぁ.

別に OSS 原理主義を唱えるつもりはないけれど,Windows が広まる以前から Unix 系の OS を使ってきた人間にしてみると「やりたいことは Unix/Linux 環 境で既にできているから,わざわざ Windows のやり方に合わせる必要を感じな い」というのが正直なところ.

Unix/Linux の世界で暮してきた人間にとって,Windows の世界は「ソフトウェ ア作者の想定した使い方しかできない」というところが息苦しく感じてしまう. Windows のソフトウェアは書いたことがないけれど,Windows の世界では GUI 環境という性質上,一つのソフトウェアで閉じた環境を作る必要があって,使 い方というのはあらかじめ作者が想定してプログラミングしたものに限られて しまい,作者が考えていなかったような使い方というのはできないように思う.

それに対して Unix/Linux の世界では,Software Tools という考え方が初期の ころからあって,個々のコマンドができることはごく限られているけど,それ らを組み合わせることで,それぞれのコマンドの作者が考えもしなかった使い 方できる,というところに大きな魅力を感じる.

例えていうならば,Windows の世界だと N 個のソフトウェアの使い方を覚えて も,その使い方は N 通りにしかならないのに対して,Unix/Linux だとN 個の ツールを使えば N!(Nの階乗)とか N^N(NのN乗)通りの使い方が可能になる気がする.

思うに GUI というメタファーは,コンピュータを実世界のデスクトップ環境に 結びつけることで初心者にも直感的な操作を可能にしたものの,コンピュータ が最も得意とする「同じ作業の繰り返し」といった概念を抜け落としてしまっ たのではなかろうか.

多分,「同じ作業の繰り返し」という概念には,「作業の普遍化」というより 高度な概念が伴なうのだけど,それは実世界のデスクトップ環境やデスクワー クをそのまま模倣するところから生まれるものではなく,「現実世界の抽象化」という、より 高度な概念系を必要とするものという気がする.

Perlの作者の Larry Wall はプログラマの 3 大美徳として

1. 怠慢(Laziness)
2. 短気(Impatience)
3. 傲慢(Hubris)

を上げているけど,これは Windows 嫌いの人間にもあてはまる気がするなぁ.



トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2021-12-17 (金) 16:35:41