[[diary/Kojima]]

・最近読んだ本

「ハイエク 知識社会の自由主義」 池田信夫 PHP 選書543

#ref(Hayek.jpg)

4月から某大学院での今年度の講義が始まった慌しさもあって、前回の更新からあっと言うまに1ヶ月が過ぎてしまった。。

最近の大学院は「クォーター制」と称して、2ヶ月くらいで一つの期が終るから、講義は週に2コマ(90分x2)あって、
しかも私の場合、個人的な都合から1日に2コマまとめて講義をしているから、毎回3時間分のネタを準備する必要があって結構大変。
まぁ話の大筋は毎年それほど変らないのだけど、テーマ的に時事的な話題を扱うことも多いので結構調べるのが大変だったり、
自分の中ではあたりまえの前提のように思っていることでも、改めて他人に説明しようとするとどこから説明すればいいのかに悩んだりと、
毎年試行錯誤の繰り返し。

そんな日々の中で、blog サイトの書評に上っていて興味を持って読んでみたのがこの本。

「ハイエク」という経済学者は、「名前をかすかに聞いたことがある」程度の知識しか無かったんだけど、この本を読んでみると、
いわゆる自由(放任)主義者で、政府による経済活動への介入は可能な限り少なくして、市場の自由な活動にまかせる方が経済はうまくゆく、
という立場の学説を唱えて、長く非主流の位置にいた人らしい。

彼がなぜ市場の自由にまかせるべきと考えたかというと、計画経済的に商品の「正しい」価格を計算しようとすると、
関係してくる要素が無数にありすぎて計算不可能になるのに対し、
市場でのやりとりの中ではごく局所的な需要供給の関係の中だけで正しい価格は決まっていくことからして、
人間には経済システムの全てを理解して未来を予測することは不可能だから、
市場でのやりとりをできるだけ自由にして、その活動の中から正しい未来が生まれるようにすべきだ、という考え方らしい。

経済学についてはさておき、この考え方って、まさに「バザールモデル」のスタイルなんだよなぁ。

linux の開発の歴史を眺めていると、ジャーナリング機能をもったファイルシステムにしても reiserfs, jfs, xfs, ext3 と4種が生まれて互いに覇を競っていたように、
同じような機能を複数の実装方法で競う例がよくあって、個人的には「開発リソースの浪費だなぁ」、と思っていたのだけど、
ハイエク的な視点から考えた場合、考慮すべき要因(CPUの能力とかメモリの標準サイズとかHDDのスペックとか)は無数にあって、
しかもそれらはそれぞれ別々の原理で進化しているから、現在の知識から 3年後、5年後の未来を正確に予測してそれにふさわしいファイルシステムを設計することなどは不可能で、
今できることは、それぞれの開発者が「自由」に自分が最善と思うような実装を追求していくことだけで、
どれが生き残るかは時間の流れの中で決まっていく、ということになる。これってまさに Linus さんの選んだ開発手法だ、という気がする。

Linus さんがなぜ中央集権的な開発スタイル(伽藍モデル)ではなく、バザールモデルを選んだのかはよく分からない(というか、多分、本人も意識していないだろう)けど、
ある意味、それが「情報社会」の時代の必然であるとともに価値観の体現なんだろうなぁ。

また、その意味で、Eric Raymond が当初考えていたギリシアの集会の場所である「アゴラ」という言葉ではなく、まさに雑然とした市場を指す「バザール」という言葉を選んだことも、
「情報社会」的には必然であるとともに、それに気づいた彼のセンスを示しているんだろうなぁ。

#comment

トップ   編集 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS